『鎌倉うずまき案内所』
ブックレビュー ☆4つ
『鎌倉うずまき案内所』 青山 美智子
2019年から2013年・2007年・2001年・1995年・1989年と、年代を6年ずつ遡った鎌倉が舞台の連作短編集。
自分を見失って、鎌倉の町を歩いているうちに時空の狭間に迷い込んでしまう主人公たち。
見つけた「鎌倉うずまき案内所」の看板に導かれ、地下へ下る螺旋階段の先に待っていたのは、”内巻き” ”外巻き”と名乗る双子の老人と生きたアンモナイト。
主人公たちは、そこにいる双子のお爺さんの「はぐれましたか?」という言葉にうながされ、知らず知らず自らの悩み事を話し出す。
そして、道標となる言葉とアイテムを教えられ、本当に大切なことに気づく。
これはもう、以前読んだ著者の『お探し物は図書室まで』と同じスタイルだが、迷った人が訪れるのが図書室から時空を超えた場所(鎌倉うずまき案内所)に、気づきのアイテムを与えてくれるのが司書から生きたアンモナイトになっていることで、物語のファンタジー色が濃くなっている。
最終話の主人公、古書店の初老の店主が常連の作家志望の女子高生に語りかける。
「本当に言いたいことを書くためにフィクションが必要なんだよ。事実をそのまま書いたら受け入れてもらえないことも、空想世界みたいな設定にすると伝わるんだ」
そういうこと? ま、確かに最近息子への接し方で悩んでいた私にはいろいろ参考になることがあった。
そうね、子供のことで親が決めれるのは名前だけ、なんだよね。
さて、この短編集、1話完結で主人公が毎回異なるのだが、脇で出てくる人たちはあちらこちらに登場する。
構成を年代順に並べてくれればすんなり読めるものを、年代を遡っているために、あれ?この人どこかに出てきてたよな、と何度も前に戻って読み返すことになる。
なんだか、うずに巻き込まれたか螺旋階段を戻るよう。
そう、著者の策略?にまんまとはまってしまったか。
ところで、螺旋階段やうずまきが暗示するものって何だろう。
螺旋階段の途中で立ち止まって、下を見たら左回りだけど上を見たら右回り。
物事は見方によって全く逆に見える、ってことなのか。
上から見たら同じ位置に見えても、横から見たら高さが違う。
近くにいるようで実は遠い、あるいは遠くにあるようでも案外近くにある、そんなこともあるのかも。
「なつかしいって感情は、年長者へのご褒美みたいなものだよね。」P.47