『本心』

ブックレビュー ☆5つ

『本心』 平野 啓一郎

2040年代の日本では、自らの意思で生命を終えることができる”自由死”が合法化されていた。
そして、それは医師の認可が必要だが、国の社会保障制度の破綻から志望者が急増していた。

70歳を前にして、「もう十分生きたから」という理由で自由死を望んだ母は、それを叶える前に事故死してしまった。
母の本心が知りたくて、VF(バーチャル フィギィア)で〈母〉を再生させる朔也。

朔也自身は、様々な理由から自分でできないことを本人に代わって行う、リアルアバターとして働いているが、特別な技能を必要としないその仕事は、依頼者からは感謝されることが多いものの、世間的な評価や報酬は高くない。
旅館の下働きをしていた母は、今後働けなくなって介護が必要になったとき、息子の負担になることを心配していた。

母は、人生の満足感からではなく、将来を悲観してしぶしぶそのような決断をしたのではないか、あるいは何かに洗脳されたのではないか。
”自由死”を望んだ母の本心をVFに求め、VFの精度を高めるために、朔也は母が生前付き合いのあった人たちを訪ねる。

母に自由死の認可を与えた医師が、朔也に詰問されて答える。
「国が今みたいに切羽詰まった時代には、長生きをそのままナイーブに肯定することは、できないだろうなあ。次の世代のことを考えて、死に時を自分で選択するというのは、私は立派だと思いますよ。」P.79

「自分で長生きしてお金を使うことと、子供にそのお金を遺すことと、どっちが幸福かを考えて”自由死”を決断したんだ。」P.81

そして、母が息子に看取られて最後を迎えたいと願ったことについて断言する。
「”死の一瞬前”っていうのは、人生で一度だけの、絶対に取り返しのつかない時間だ。その時に感じ、思うことが、この世界で人間として出来る最後のことだな。そうれをどうしたいかを決める権利は、絶対に個人にあります。」P.83

また、母と面識のあった老作家の藤原が言う
「人間は、一人では生きていけない。だけど、死は、自分一人で引き受けるしかないと思われている。僕は違うと思います。死こそ、他者と共有されるべきじゃないか。生きている人は、死にゆく人を一人で死なせてはいけない。一緒に死を分かちあうべきです。そうして、自分が死ぬときには、誰かに手を握ってもらい、やはり死を分かち合うべきです。さもなくば、死はあまりに恐怖です。」
「他者と死を分かち合うというのは、臨終に立ち会うだけじゃない。時間を掛けて、一緒に話し合う時間を持つ、ということです。」P.409

僕自身が今年還暦を迎え、90歳・85歳の両親と、23歳になっても何も定まっていない息子を持つ身として、自分の老後や死というのは常に頭にある。
また仕事柄、年金暮らしで生活が思うに任せない方や、認知機能が衰えてきた方(自分の親も含めて)と接することも多い。

老い・死というのを、わりと身近に、現実に、感じている。

自分の命の終わりに関しては我儘で良いのではないかと思う一方で、子供に迷惑をかけないうちに、身体や思考がままならなくなる前に、死ぬタイミングを自分で決めることができるというのはとても魅力的に感じる。

そんなことをいろいろと考えれたのは良かったと思う。

ただ、最新技術としてのAI/VRの可能性がもっと語られるのかと思ったのだが、そこは少し期待外れだった。
それと、AI/VRや自由死に加えて、外国人労働者・格差社会・売春・身体障害・テロ・私的な精子提供による人工授精と、やや問題提起が多すぎて、主題がぼやけてしまいかねないところが残念な気がした。

と、ここまで書いた後で、他の人のレビューを読んで気付いた。
自分の現状もあって、老い・死の方にばかりに気を取られていたけど、本書のタイトルは『本心』だった。
そういえば、随所に”本心”って使われていたっけ。
母の若い友人である三好の本心、朔也の仕事仲間で犯罪者となってしまう岸谷の本心、朔也の雇用主となる格差のあちら側にいるイフィーの本心、そして朔也自身の本心。

話の幅が広すぎて、ちょっとついていけてなかったようだ。

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『本心』 平野 啓一郎 著 文藝春秋

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