『ある男』
ブックレビュー ☆5つ
『ある男』 平野 啓一郎
子供の頃、鏡に映った自分の顔を見て、ひどく気味悪くなったことを思い出した。
そこに映っている人間の体を受け持っている自分、という意識に気づいて、落ち着かないような、恐ろしいような、不安な気持ちになった。
そんな感覚は、大人になって忘れてしまったのか、慣れてしまったのか。
他人になることで、そんな不安を他人のものにできる、ということなのか。
的外れかもしれないが、ふとそんなことを思った。
結婚して3年9ヵ月、幸せな家庭を築きながら、不幸にも仕事中に事故死した男は、全くの別人だった。
こう書くと、何を言っているのか意味が分からないが、ようするに他人になりすましていたのだ。
その戸籍も過去も自分自身のものとして。
男の正体を調査することになった弁護士 城戸を主人公として、城戸とバーで偶然知り合った作家(平野)がその話しを小説に書いた、という形をとっている。
ミステリー仕立てで物語は進行するが、主人公は探られる男ではなく、探るほうの城戸。
タイトルの”ある男”というのは、城戸なのだと思う。
痛々しいまでの生真面目さ。
在日(3世で、本人はなんら意識することなく生きてきたのだが)という出自、弁護士という職業が、城戸を生き苦しくしているのか。
他人の過去をそのまま自分の過去として生きる。
それにはそうせざるを得ないような、相当の辛い家庭事情や家族関係があった。
しかし、他人になりすましたところで、その人自身が変わるわけではない。
ただ周囲の目が変わるのだ。
周囲からどう見られているかで、人は変わるということか。
周囲がみなす自分像に縛られる、ということは多分にあるのだろう。
城戸はたまたま入った店のカウンターでバーテン相手に、自分が探している男を真似て、その男になりすますことで、つかの間開放されたような感覚になる。
違う人間として振舞うことで、自らを客観視できたのかもしれない。
謎を追う中で城戸が出会った、人生のモットーが三勝四敗主義という女性が、魅力的だった。
周囲の目をものともしない芯の強さを感じた。
そして、城戸の努力の甲斐あって、すべてが明らかになる。
そのことで、残された家族は解決できない問題を抱えることになるが、未来にかすかな光を感じさせるエンディングは良かった。
ところで、平野 啓一郎の小説は難しい、と思う。
言い回しが難しくて、一度で理解できなくて、何度も読み返すこと度々。
知識・教養が高いのは充分にわかるが、それをひけらかせすぎかなとも思う。
ただ、それが文章に深みをもたせているのは間違いない。
諦観のようなもの
「死者は、あちらから呼びかけることは出来ず、ただ呼びかけられることを待つだけである。」
「年の瀬の静けさが、一年分の重みを、憂鬱にしっかりと加えていた。」 なんて表現、素敵だなと思う。